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- 産後鬱の妻から誹謗中傷され続ける日々を送る
↓ - 妻の両親と話をしたら、拒否されて力づくで追い出される
↓ - 妻側から家庭裁判を起こされる
↓ - 裁判所は完全に妻側の味方で、自分は一方的に責められ続ける
↓ - 「子供には会わせない」「でも婚姻費用として毎月10万円を払え」という理不尽な判決が下される
裁判所でも悪者にされるって・・どこまでツイてないんですか・・
悪かったのは運じゃなかったんです
私は弁護士を雇っておらず、妻側は弁護士を雇っていた・・それだけの違いでした
未熟な私はそのことに気づいていなかったんです
弁護士がいるのといないのでは、そんなに違うんですか?
ええ、全然違いました
今回はその話をします
ページコンテンツ
自分の中で抑圧された記憶(思い出せない・思い出したくない)
1年以上も続いた不毛な離婚調停は、私にとって理不尽かつ不利な判決で幕を閉じました。
- 夫婦は今後も(無期限で)別居を続ける
- 夫(私)が子供に会うことは禁止する
- 子供とは間接的な交流(妻側が毎月1回写真を送る)のみ許可する
- 子供が入院している病院へ夫(私)が行くことは禁止する
- 別居期間中は夫(私)が妻に毎月10万円の婚姻費用を支払う
※婚姻費用とは妻子に支払う費用のため、養育費よりも高額になる
ここから1年間、私は妻にも子供に会っていません。
子供はちょうど1歳になったばかりでしたが、私の記憶の中では赤ちゃんのままです。
成長した我が子を一目でいいから見たかった・・
ここからの1年間は、私の人生で最悪な1年間になりました。
その証拠に、ここからの1年間は自分がどうやって生きてきたのか記憶にありません。
記憶の一部が辛すぎて、それが生きていくための妨げになると脳が判断した時、その記憶を抑圧する作用が自然と働く
大げさじゃなく、今でも本当に思い出せません・・
毎日何を考え、毎日どう過ごしていたのか・・全く記憶にないんです
「人間は辛い記憶を自ら封じ込める」と言いますが、これは本当でした
1年後・・まだ地獄が続く・・
そこからの1年間は、平日は仕事に行って、休日はゲームをするだけの日々だったように思います。
覚えてないんです。
何も考えたくなくて、完全に心を無にして生活していました。
親は心配して何度も連絡してきましたが、思い出すのが嫌で無視しました。
友達と会うことすら嫌で、誘われても断っていました。
「家庭はどう?」「子供は元気?」などと聞かれるのが嫌だったからです。
廃人同然の生活・・いや、すでに廃人だったと思います。
この時自分は37歳でした
「こんな調子だと42歳の厄年は一体どうなるんだ?」と本気で心配しました
しかし、今のところ厄年はこれが最後でした・・もう来ないでほしい・・
廃人生活を抜け出す最後の賭けに出る
最悪の離婚調停が終わって、早1年が過ぎようとしていました。
1年という年月が経っても、状況は何も変わっていませんでした。
子供には一度も会っておらず、毎月1枚だけ写真が送られてくるだけでした。
妻やその両親とはお互いに一切連絡を取っていません。
婚姻費用として毎月10万円を振り込み続け、子供の成長写真をお金で買っているような状態でした。
一体いつまでこんな状況が続くんだろう・・
さすがにこのままじゃダメな気がする・・
そう思った私は、最後の賭けに出ることにしました。
妻とその両親は、どんな気持ちで毎月10万円も俺から受け取っていたのか・・
今でもコイツらの神経は全く理解できない
妻に手紙を書いて送ることに
私は、妻に手紙を書きました。
これまでのことを詫び「また一緒に生活したい」という思いだけを綴りました。
そして最後に「◯月△日の□時頃に実家へ行くので、2人だけ話したい」と付け加えました。
思えば、妻が出産里帰りしてからこの2年半・・妻とはちゃんと話し合ったことが一度もありません。
こんな状態で離婚するわけにはいきません。
どんな結果になるにせよ、一度キチンと話し合う必要があると私は考えていました。
おそらくこれが最後の訴えになるだろうな・・
どうか話に応じてくれますように・・
私は祈りながら、手紙を投函しました。
当時の私は性善説を信じていた
「純粋に思いをぶつければ、きっと相手はわかってくれる」・・と思っていた
しかし、心がない人間に心を訴えても仕方がなかった
最後の訴えも相手には届かなかった・・
手紙に書いた日時に、私は2年半ぶりに妻の実家を訪れました。
2年半前に力づくで追い出された時の記憶が甦って足がすくみ、緊張した状態で呼び鈴を鳴らしました。
出てきたのは・・妻の父親でした。
手紙は読んだ
娘は出かけさせたから、家には私しかいない
・・やはり妻は私に会ってはくれませんでした。
予想していたことでしたが、私の最後の思いは届きませんでした。
妻とその両親は、私の手紙を読んでも1ミリも心を動かされることはなかったはず
彼らの中で私はすでに死んだ人間だった
死んだ人間から毎月10万円をどんな気持ちで受け取っていたのか・・いつか聞いてみたいものである
妻の車の保険料はずっと自分が支払っていた
仕方なく、私は妻に話すつもりだった内容を、妻の父親に話しました。
一緒にやり直したい気持ちがあること、障害を持った我が子を一緒に育てていきたいこと、これまでのことは反省していること・・必死に訴えたつもりでした。
しかし、妻の父親は私の顔を見ているだけで、一言も言葉を発しませんでした。
妻の父親は常に無表情を貫き、まるで目の前に私が存在しないかのように振る舞っていました。
・・俺なんか相手にすらしたくないってことか。
・・もう帰ります
どうか妻にお伝えください
仕方なく帰ろうとした私に、妻の父親は初めて言葉を発しました。
・・車の保険はどうなってる?
・・車の保険?
- 私は結婚した時に自分の車を売却し、妻が乗っていた車を私と妻で共有することにした
↓ - 妻は出産里帰りする際に、その車を実家に持っていった
↓ - それから離婚騒動に発展し、2年半が経過
(この間、私は一度も車には乗っておらず、妻が車を使っている状態である)
↓ - この間も車の保険料は、ずっと私が支払っている状態だった
私は、自分が使ってもいない車の保険料を2年半ずっと払い続けていました。
しかし、妻は子供の病院の送り迎えなどに使っていると思っていたので、支払うことには抵抗がありませんでした。
(我ながらどこまでお人好しなんだ・・)
妻の父親は、その車の保険料の支払いについて聞いてきたわけです。
妻の父親が私に会ったのは、車の保険について聞きたかっただけである
そして、この後言われた言葉によって・・私は大きなショックを受ける
義父から言われた「心ない一言」
私は、妻の父親が発した質問の意図をこう解釈しました。
「君が乗らない車の保険料をこれ以上支払わせ続けるのは申し訳ない」
「だからもう解約してもらっても結構だ」
それならわかる話でした。
車の保険料は相変わらずですが・・それが何か?
しかし、ここで妻の父親が言った言葉は、私の予想とは全く違っていました。
娘が「この車に乗ってると怖い」って言うんだよ
「あんたがちゃんと保険料を支払ってるか不安だから怖い」って言うんだよ
だからこっちで新しく保険に入るから、今の保険は解約しといてくれ
・・ハア?!
お前今なんて言ったんだ?!
別居中とはいえ、どれだけ苦しめられたとはいえ、お前の娘は俺の家族だ!
家族が使ってる車の保険を俺が勝手に解約するわけないだろ!!
貴様ら・・俺をそんな人間としか思ってないのか?!
・・この言葉があまりにもショックで、私は何も言えませんでした。
意を決して妻の実家に行ったのに・・まさかこんな目に遭わされるとは夢にも思いませんでした。
「そんなに怒ることか?」と思う人もいるかもしれないが、私にとってこれ以上の侮辱はなかった
この一族は人間の皮を被った悪魔だった
離婚を決意した理由(人生で関わってはいけない人だった)
ここまで侮辱されて、わずかに残っていた自尊心まで深く傷つけられて・・私はやっと気づきました。
もうあの家族とは無理だということに。
私が結婚した妻とその家族は、人生で関わってはいけない人たちでした。
こんなことになる2年半前から・・いや、結婚する3年半前から・・初めから無理な結婚だったんです。
これだけの年月をかけて、ようやくそのことに気づきました。
・・離婚しよう
あの家族とはこれ以上関わるべきじゃない
でも、子供と会える環境だけは取り戻さないといけない
そのためには・・あの家族ともう一度戦わなくてはいけない・・
私の目的は「離婚して、子供と面会交流できる権利を得ること」・・それだけでした。
しかし、そんな権利ですら前回の裁判では奪われています。
何も悪くない自分が、なぜ前回の裁判では負けたのか・・
その答えは「弁護士の不在」・・たったそれだけでした。
人間の原動力は「怒り」や「反骨心」であることが多い
妻の父親から言われた言葉が、ようやく離婚を決意させてくれた
弁護士の無料相談で離婚調停を有利に進める方法を知る
一度決まった判決を覆すには、前回とは違う方法を取るしかありません。
私はまず、離婚を専門とする弁護士の無料相談を受けることにしました。
ここで「何も悪いことをしていない自分が、なぜ前回の裁判で負け続けたのか」・・その理由を知りました。
そのケースで、お子さんと会えないという判決が出るのはおかしいです
最低でも月1回の面会交流は認められるべきです
・・ですよね。
どう考えてもおかしいですよね。
それなら、なぜこんな判決になったんでしょうか?
奥さん側には弁護士が付いていて、あなたには弁護士が付いてなかったからだと思います
弁護士が付いている側を家庭裁判所が支持するのは自然なことなんです
このケースでこんな厳しい条件を呑まされたのは、あなたが一人だったからです
・・やっぱりそういうことか。
結局この世は「正義よりも力」ってわけか・・
弁護士は立場上「弁護士と契約しなさい」と勧めるのが当然なので、自分は乗せられただけかもしれない
しかし、裁判で勝つために・・背に腹は変えられなかった
弁護士を雇って今度は自分から家庭裁判を起こす
私はネットで探した弁護士事務所を訪れ、離婚専門の弁護士と話をしました。
子供と面会交流が認められないケースは少ないんです
よほどの虐待やDVでもない限り、父親は子供に会える権利があるからです
虐待やDVなんてとんでもない・・
俺はただ必死に子育てしてきただけなのに・・
これは個人的な話なんですが・・
実は私の娘も口唇口蓋裂の障害を持っているんです
ですから、奥さん側が今どんな治療を受けさせているかも大体わかります
この人の娘さんも俺の子供と同じだったのか・・
どこか運命的なものを勝手に感じた私は、この弁護士さんにお願いすることに決めました。
わかりました、こちらこそよろしくお願いします
お子さんとは必ず会えることになるので、心配しないでください
では、今度はこちらから家庭裁判を起こしましょう
弁護士を雇った私は、今度は自分から妻に対し家庭裁判を起こしました。
裁判所も弁護士も信用してないが、この弁護士さんには今でも感謝している
口唇口蓋裂の子供を持つ親同士、色んなことを相談させてもらった
調停委員の態度がガラッと変わり裁判が有利に進む
そこから1年間・・またあの裁判生活が始まりました。
家庭裁判所の調停委員の顔ぶれが前回と違っていたことにまずホッとしました・・あのクズどもでは話にならない。
自分がしゃべると余計なことを言ってしまうと思い、私はなるべく弁護士に任せました。
すると・・前回の裁判とは全く違う展開になっていきました。
あなたに非はないので、奥さん側は面会交流を拒否することはできません
あなたとお子さんを会わせる方法、そして場所、問題はそこだけです
・・前回とは言ってることが真逆だぞ!
味方をしてくれるのはありがたいが、裁判所の人間はこんなにも適当なのか?
仮にも法律に関わる仕事をしてる人間が、言うことをコロコロ変えていいのか?
お前らにはプロとしての自覚や誇りがないのか?!
裁判を経験した人ならわかると思うが、裁判所の人間は本当に信用できない
今回の調停委員はともかく、前回の調停委員は本当にクズだった
1年後・・全ての判決が決定する
今回の裁判は自分に有利な方向へと進みました。
前回の調停委員には人間の言葉が一切通じませんでしたが、今回の裁判では人間らしい会話ができました。
面会交流は早期に認められ、その実施方法を話し合うのが今回の争点でした。
そして1年後・・ようやく判決が決まりました。
- 夫婦は離婚する
- 夫は妻に養育費として毎月7万円を支払う
- 妻は夫に子供と面会交流させる
- 慰謝料なし
(該当する行いが全くない) - 財産分与なし
(同居生活が1年未満と短く、その間に夫婦が得た固定資産が存在しないため)
- 場所:近くの児童施設
- 時間:毎回30分〜60分程度
- 頻度:毎月1回
- 方法:妻の親が児童施設へ子供を連れていく
子供と会える権利は得たので、私の希望は叶った形になりました。
私は弁護士に成功報酬を支払い、深くお礼しました。
色々とありがとうございました
いえいえ、こちらこそありがとうございました
何か相談があればいつでもお越しください
こうして、3年半も続いた離婚騒動にようやく終止符を打つことができました。
無事に済んだとはいえ、たったこれだけのことを決めるのにまた1年も費やすことになりました
もう裁判は懲り懲りです、二度と経験したくありません
3年ぶりに我が子に会う
裁判が終わって1ヶ月後・・我が子と3年ぶりに再会しました。
私の記憶は赤ちゃんのまま止まってましたが、我が子はすでに3歳半・・すっかり大きくなっていました。
口唇口蓋裂の手術跡は残ってましたが、目立たない程度には綺麗になっていました。
当然ながら我が子は私のことを親だと認識していない様子でしたが、それでも私は幸せでした。
ごめんな・・
お父さんがしっかりしてないせいで、ずいぶん寂しい思いをさせてしまって・・
もう一緒には暮らせないけど、いつも見守ってるからな・・
情けない父親(私)、精神的に幼い母親(元妻)、自分のことしか考えてない祖父母(お互いの親)・・こういう未熟な大人たちのせいで、この子はこの先どれだけ辛い思いをするのか・・
自分のことしか考えられない人間がどうしてこんなに多いのか・・それが本当に情けない・・
我が子も今では小学生になりました
口唇口蓋裂も見た目にわからないほどに治り、元気に育っています
落ち込んで自分を責めるように・・
短かった結婚生活と、長かった裁判生活が終わり、私は最低限の権利のみ得ることができました。
しかし、その結果・・誰もいなくなりました。
「子供を連れて家族でのんびり公園を散歩すること」・・こんな小さな夢すら叶いませんでした。
何が原因だったんだろう?
誰が悪かったんだろう?
「妻やその両親が悪かった」と思うのは簡単でしたが、それだけが原因とはどうしても思えませんでした。
自分が悪い・・自分がダメだった・・自分がしっかりしていたらこんなことにはならなかった・・
この不幸を他人のせいにしたかったはずの私は、徐々に自分自身を責めるようになっていきました。
昔から人間関係とか下手だったもんな・・
やっぱり俺が悪かったんだろうな・・
俺の人生はうまくいかないようにできてるんだろうな・・
念願だった子供との面会交流を得たはずなのに、もう生きる希望が見えませんでした。
精神を病む人の中に自傷癖を持つ人がいると聞くが、その気持ちがわかった気がした
誰かを責めるのが苦手な人間は、自分に刃を向けることになる・・
全てを失った喪失感から再び引きこもり生活に・・
・・言葉が見つかりません
「お子さんと会えるようになってよかったですね」って本当は言いたかったんですが・・
まあ・・もう過ぎた話ですからね・・気遣いは無用です
「早く子供と会えるように」と頑張ってきたんですが・・
それが叶って、燃え尽き症候群のようになっていたのかもしれません
今後の人生を想像すると確かに辛いですよね・・
ここからどうやって立ち直ったんですか?
時間がかかりました・・自殺すら脳裏をよぎったくらいなので・・
でも、こんな自分を救ってくれた人もいました
その人のおかげで・・少しずつ立ち直ることができたんです
長くなりましたので、続きは以下の記事にて。
③に引き続き・・過去に私が離婚するまでの経緯をお話します