恋愛講座「いい人が遊び人モテ男ことを制圧する技術」

私の離婚原因 いい人は女と親の言いなりで板挟みに遭うだけ

こんにちは、野原すすむです。

今回は、

ただのいい人では家庭を維持することも難しい理由

について、離婚した私の実体験を基にお話します。

平凡で幸せな家庭を持つこと、それだけが私の夢でした

私は昔から子供が好きでしたので、早く家庭を持ちたいと思っていました。

子供を連れて家族でのんびり公園・・それが私の夢でした。

「大きな成功はいらない、人並の幸せがあればそれでいい」

昔から欲や野心のない性格でしたので、平凡で穏やかな生活だけを望んでいました。

だから、結婚にもこだわってはいませんでした。

「美人なんてとんでもない!普通の奥さんでも自分にはもったいない」

それよりも、とにかく結婚がしたかったんです。

そんな平凡な願いしか持たない男でした。

女にモテない私は平凡な家庭を持つことすら難しかった

しかし・・私は女性に全くモテませんでした。

30歳を過ぎた時点で、これまで付き合えた女性は人生で2人だけでした。

恋愛や女性に興味がなかったわけではなく、むしろ私は昔から活動的な方でした。

20歳くらいの頃から出会い系で彼女を探し、そこから10年くらいは出会い系をやってなかった期間の方が短いくらいでした。

つまり、5年以上も出会い系で彼女を探し続けていたわけです。

それで付き合えたのは2人だけ・・いかに自分がモテないかがよくわかります。

告白してフラれた女性や、1回会ったらもう連絡が来なくなった女性の数は100人は優に超えています。

昔は、周囲が心配して見合いをセッティングしてくれるなどして、モテない男性でもなんとか結婚することができたと聞きます。

しかし、今の時代はそうはいきません。

私のようにモテない男は、平凡な家庭を持つことすら難しい時代なのです。

とにかく早く結婚がしたくて結婚相談所へ入会

「このままでは一生結婚できないかもしれない」

そう悩んだ私は、31歳の時に結婚相談所へ入りました。

焦っていた私は、2つの結婚相談所へ同時に入会しました。

今考えると愚かな行動でしたが、その時の私は少しでも結婚できる確率を上げたかったのです。

「ここまですれば、いくら自分でも結婚できるだろう」

そうやってモテない自分を安心させたかっただけなのかもしれません。

しかし・・ここでも現実は変わりませんでした。

考えてみれば当然のことです。

出会い系であろうが、結婚相談所であろうが、私が相手にするのは女性です。

出会い系でモテなかった私が、結婚相談所ならモテる道理はありません。

モテない自分に奇跡的にできた彼女

2つの結婚相談所へ入って早1年が過ぎました。

世間で言われている婚活うつのような状態に耐えながら活動していた私に・・奇跡的に彼女ができました。

「もうダメかな・・」と諦めていた頃のことです。

この時の喜びは今でも忘れません。

「これで結婚できるかもしれない!」

「もうこんな活動をしなくてよくなる!」

・・今考えると、この時点で私は間違っていました。

そうなんです、私は自分のことしか考えていなかったんです。

私は、とにかく結婚がしたかっただけでした。

知り合って3ヶ月でスピード婚約

彼女はとても結婚願望が強い女性でした。

私と付き合って1ヶ月も経たぬうちに「早く結婚したい」と言ってきました。

今思えば異常な話です。

当時の私は、結婚相談所で知り合うということはそういうものか程度にしか思っていませんでした。

そもそも、私も早く結婚がしたかったので、彼女の申し出はむしろ歓迎でした。

結婚したら仕事を辞めていいかという彼女の希望にも喜んで応えました。

私は自分の母親が専業主婦だったこともあり、女には家庭にいてほしいとも思っていたからです。

私たちはトントン拍子に結婚話を進め、まだ知り合って3ヶ月も経たないうちに婚約をしました。

当時の私は、そこに何の違和感も感じていませんでした。

両家の顔合わせの場に相手側が来ない理由

彼女はとてもこだわりの強い女性でした。

彼女は結婚式場や結婚する日について自分の理想や夢を持っていました。

私はそれらを叶えてあげたくて、彼女の言う通りにしていました。

しかし彼女は、自分の思い通りに事が運ばなくなると態度を急変させる一面も持っていました。

最初にそれに気づいたのは、両家の会食でした。

両家の顔合わせとして立派なレストランを予約した私に彼女はこう言いました。

「お父さんは行かないから、お母さんと私だけで行くから」

・・両親の顔合わせの場に父親が来ない?

理由を聞くと、「うちはそんな高い店で食事したくない」とのことでした。

彼女の家は、何でも手作りで済ますような慎しみ深い生活を良しとする考えを持っていました。

悪く言えば、ケチでした。

とはいえ、これは大事な両家の顔合わせの場です。

「この日くらいは多少立派な店でも構わないのでは?」と頼んでみましたが、彼女とその両親は最後まで納得しませんでした。

結局、向こうの父親が来ることはなく、私の両親は向こうの親に対して不信感を持つようになりました。

それでも私は、彼女と結婚することに何の抵抗も感じていませんでした。

彼女と親の両方に責められる板挟みの日々

私の両親は、次第に私のことを責めるようになっていきました。

「お前が彼女を説得できないのがおかしい」

「そもそも結婚式場も何もかも全て彼女の思い通りに進んでいるのもおかしい」

「お前は彼女の言いなりじゃないか」

両親からしたら、息子の結婚が全て彼女の思うがままに進んでいることがおもしろくなかったのでしょう。

しかし私は、こんなことを言ってくる両親のことをこう思っていました。

「両親は私の結婚を邪魔しようとしている」

今考えれば、親心で心配してくれていたのでしょう。

当時の私には結婚しか見えておらず、周囲のことは二の次でした。

私はこの結婚を壊したくなかったので、両親に何を言われようが耐えるしかありませんでした。

そのうち私は、彼女にも責められるようになりました。

私の両親は彼女と仲良くなりたいと思って、色んなお節介を彼女にしていました。

しかし、彼女は自分の親以外は親とは思っていないような節があり、私の両親のお節介や気遣いを疎ましく思っていました。

結婚式場で使うウェルカムボードを、絵の上手い私の父が描くことになりましたが、父はその絵に家の家紋を載せました。

これが彼女の怒りを買い、彼女は自分の母親にウェルカムボードを描かせ、私の父が描いたものはボツにされました。

家紋を載せる父も悪いですが、そこまで過激に反応する方もどうかと思います。

こんなくだらないことですらモメる原因の一つになり、そのたびに私は彼女と親の両方から責められました。

そして彼女は、私の実家へは一切来なくなりました。

「行く必要も理由もない」

それが彼女の理由でした。

それでも彼女は、自分の実家へは私を度々招こうとします。

自分の両親だけは大事にしたいので、私にはそういう関係を求めるのです。

「それは不公平では?」

と彼女に言うと、彼女は不機嫌になり口を閉ざしてしまいます。

だから私は何も言えなくなっていきました。

彼女が実家へ来ないことで、私は自分の両親にまた責められ続けました。

「お前は、結婚する相手を自分の実家へ連れて来ることもできないのか」

「彼女は一体どういう神経をしてるんだ」

もういい加減にしてくれ・・と思いました。

しかし、今考えれば両親の言っていたことは間違いではありませんでした。

こんな状況で結婚を進めること自体間違っていたのです。

それでも結婚がしたい私はますます彼女の言いなりに

結婚式を2ヶ月後に控えた時期に、彼女がとんでもないことを言い出しました。

「結婚をやめたい」

彼女の言い分はこうでした。

「あなたの両親を受け入れられない」

「あなたは自分の親ばかりを大事にする」

「私がそれでどんなに苦しんでいるか、あなたか全くわかってくれない」

これが理由だと言いました。

私にそんな自覚は全くありませんでした。

私は何でも彼女の希望どおりにしてきたつもりだったからです。

私にも非はあったのでしょうが、彼女の言い分は今考えても相当にワガママでした。

当時の私さえ納得できなかったのは、彼女の親に対しての感情でした。

私も彼女の親をあまり好きではありませんでしたが、結婚する相手の親ということでかなり気を使って接してました。

でも彼女にはその気はなく、私の両親とはどうしても相容れないの一点張りでした。

あまりにも勝手な話と納得できかねないものでした。

それでも結局・・私が折れました。

「反省して改善していくから、結婚をやめるなんて言わないでほしい」

私はこの結婚がなくなることが恐怖で仕方ありませんでした。

「この結婚が壊れたら、もう自分は一生結婚できないかもしれない」

そんな強迫観念にも近い感情すら持っていました。

そんな風にしか思えないほど、私は女にモテない人生を歩んできたからです。

このことで彼女はますます増長していくことになります。

この時すでに崩壊への序曲は始まっていたのかもしれません。

周囲に気を使い続ける自分が常に悪者になる

結婚式の間近に、私の叔父がガンで最後の時を迎えようとしていました。

私とは血のつながりのない叔父(父親の妹の夫)でしたが、昔から私を可愛がってくれた優しい叔父でした。

覚悟はしてましたが、やはりショックで悲しみを隠すことはできませんでした。

叔父が危篤状態になったと母親から連絡がきた時、私は彼女と一緒にいました。

今すぐ帰ってきてという母親に対し、私は思わずこう口走りました。

「彼女に聞いてみる」

彼女は私が地元へ帰るのをすごく嫌がるので、私は母親に「今すぐ帰る」と即答することができませんでした。

もう私は彼女に遠慮しまくっていました。

母親は怒り、「今どういう時かわかってるのか」と私を責めました。

今思えば母親の怒りは当然で、この頃の私は明らかにおかしかったのでしょう。

もはや何が正しいのかさえ自分で判断することができなくなっていたと思います。

私は地元へ帰ることを決め、彼女に婚約者として同行してほしいと頼みました。

しかし、彼女は「体調が悪いから遠慮する」と言いました。

だから自分一人で帰ることを母親に伝えたら、母親はまたさらに怒り始めました。

「自分が結婚する相手の親族の一大事にどういう神経をしてるのか」

私の地元はド田舎なせいか、親族つながりをとても大事にするのです。

これは文化の違いなだけかもしれませんが、彼女が人間的に冷たいことは確かでしょう。

私は彼女に頼み込んでなんとか付いてきてもらいました。

もう彼女や母親から言われるがままです。

私の意思は全くありませんでした。

叔父は亡くなり、翌日通夜が行われました。

彼女も最初は通夜に出てくれましたが、体調が悪いと言ってすぐに別室へこもり始めました。

様子を見に行くと「無理矢理付き合わされて余計に体調が悪くなった」と言いました。

その様子をたまたま私の親族を見ていて、この話はすぐに両親へと伝わりました。

当然のごとく両親はまた私を責めました。

「もう親族一同の間でも彼女の評判は最悪である」

「お前は本当にそんな女と結婚するのか」

・・もうウンザリでした。

全てに遠慮して、自分の我を一切通さず、気遣いばかりしてきた自分だけが・・なぜかいつも責められます。

しかし、これがそもそもの間違いなのです。

全てに遠慮して、自分の我を一切通さず、気遣いばかりしてきた自分・・だからこそ女にナメられてひどい目に遭わされるのです。

穏やかな結婚生活と妻の出産里帰り、そして・・

新居への引っ越し、結婚式、新婚旅行と順調に進み、私にもようやく穏やかな日々が訪れました。

ここからの1年間は幸せでした。

私にとってたった1年間の穏やかな生活でした。

結婚式から2ヶ月後には妻が妊娠しました。

私は早く子供が欲しかったのですごく喜びました。

私は毎月の定期検診に付き添い、身重な妻を気遣いながら家事を手伝うといった平和な日常でした。

私の両親もあまり口を出さなくなり、孫の誕生を心待ちにしてました。

毎週のように妻の実家へ一緒に行きましたが、妻の方は相変わらず私の実家へは来ようとはしませんでした。

しかし、それももう気にならなくなりました。

そして、出産予定日を2ヶ月後に控えた頃、妻は実家へ里帰りしました。

そこから私は毎週妻の実家へ行く生活になりました。

全てが順調でした。

しかし、この里帰り以降、妻が私の元へ帰ってくることはありませんでした。

いい人でも牽引力のない男に女はついてこない

その後、私にとっては地獄のような生活が待っていました。

産後クライシスの恐怖 産後うつで妻から離婚された私の過去

結局、私は結婚生活すら満足に送ることができずに離婚してしまうわけですが、それは元妻や親に原因があったわけではありません。

原因は私にありました。

「この人になら一生ついていきたい」

元妻にそう思わせることができなかった私に原因があります。

「この子の言うことなら仕方ない」

両親にそう思わせることができなかった私に原因があります。

私は自分がただ結婚したいだけで、女と親言いなりでした。

「自分が彼女を引っ張っていこう、守っていこう」

「自分が決めたことなんだから親は関係ない」

こういった自分の意志や自己主張、そして牽引力が全くなかったことが離婚原因だと思っています。

ただのいい人に過ぎなかった私には、家庭を守る力も維持する力もなかっただけの話です。

どんな女性でも心のどこかに「男についていきたい」という依存願望を持っています。

それは彼女でも奥さんでも母親でも同じです。

ただ状況に流されてるだけの男に女はついてきません。

そのことを私は自身の離婚から学びました。

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