恋愛講座「いい人が遊び人モテ男ことを制圧する技術」

産後クライシスの恐怖 産後うつで妻から離婚された私の過去

こんにちは、野原すすむです。

今回は、

元妻の産後うつによって家庭崩壊した私の過去

についてお話します。

結婚、妊娠と順調だった結婚生活が突如一変

前回の記事の続きです↓

私の離婚原因 いい人は女と親の言いなりで板挟みに遭うだけ

私は結婚相談所で知り合った妻と結婚し、間もなく妻は妊娠しました。

妻と母親の板挟みに遭いながら、ようやく落ち着いたと思った矢先の出来事でした。

板挟みの日々の苦しみなど、この先の地獄に比べたら大したことではありませんでした。

生まれてきてくれた我が子への喜びと苦悩

結婚して数ヶ月後、私にとって待望の第一子が無事誕生いたしました。

出産には私も立ち会いましたが、これはもう感動でした。

もう二度と見ることのない光景だと思いますが、おそらく一生忘れることはないと思います。

しかし・・

生まれた我が子は先天性の障害を持っていました。

命に別状がある障害ではありませんでしたが、それでも私はショックを隠し切れませんでした。

「この子は一生この障害と付き合うことになる」

そう思うと悲しくてたまりませんでした。

我が子が無事誕生したことはものすごく嬉しいのです。

しかし、どうしても素直に喜ぶことはできませんでした。

「せっかく生まれてきてくれたのに、この子は大変な人生を送ることになる・・」

我が子が不憫でなりませんでした。

その夜、私は障害についてネットで調べまくりました。

普通に生きていくには問題ないが、それでイジメられる人も多いという記事も目にしました。

どれだけ読んでも前向きに受け取れずショックでした。

できることなら自分が代わってやりたいと思いました。

私は何年ぶりかに一人で泣きました。

私が泣いたのは今のところこれが最後です。

妻の産後うつが始まり耐える日々

我が子の障害をなんとか受け入れた私は、育児に奔走しました。

普通の子と違ってすぐに退院できないため、別の病院を手配して転院させました。

仕事が終わったら病院へ通い、医師と話し、育児方法を勉強する日々でした。

少々大変でしたが、我が子のためと思えば気になりませんでした。

どんな障害を持っていようが我が子はとてつもなく愛おしい存在でしたから。

昔から子供が好きだった私の願いがようやく叶ったわけですから。

しかし、これが家庭崩壊への序曲でした。

出産によるホルモンバランスの崩れと、我が子にかかりっきりになっている私への不満で、妻は徐々に狂い始めました。

とっくに退院して体調も回復しているのに、全ての手続きや内祝いなどを私に丸投げしました。

私は仕事が忙しい中休暇を取り、役所と病院を行き来しました。

出産後の妻を気遣うのは当たり前と思って気にしていませんでしたが、妻の言動は日に日にキツイものへとなっていきました。

私の両親が孫を見に病院へ来た時も、妻は挨拶すらしませんでした。

それどころか「自分の親ばかりに気を使って私には気遣いがない」と責められる始末です。

「それより私の親にもっと気を使え」と厳しく言われました。

自分は私の親に挨拶すらしないのにです。

一緒にいない間は、私は妻からメールで心ない言葉を浴びせられ続けました。

ない事実をでっち上げられたり、嘘や作り話もされたりと、妻はもはや正常とは言えない状態でした。

何を言っても意味不明な反論で返され、とにかく責められ続けました。

今考えても、当時の私はよく耐えたなと思います。

それでも我慢するしかないと私は耐え続けました。

これが俗にいう女の産後うつや、産後クライシスと呼ばれることを知ったのはだいぶ後のことです。

状況はどんどん最悪な方向へ向かいました。

私が妻と一緒にいる時、私の父から携帯で電話がかかってきたことがありました。

私の父は穏やかな性格でしたが、この時ばかりは声を荒げて私にこう言いました。

「お前の嫁はおかしい」

「子供への愛情が全く見えない」

「お前に仕事を休ませて全部押し付けるのはどういうことだ」

父の言うことはもっともでしたが、私は妻の手前父の言うことを肯定することはできませんでした。

そして運が悪いことに、父の声が大きすぎたためにこの内容は全て妻に聞こえていました。

場所を変えなかった私の不覚です。

当然妻は「私が自分をかばってくれなかったことがショックだった」と、ますます荒れ始めました。

とうとう私は我が子にも会わせてもらえなくなりました。

妻は自分の実家に立てこもり、私は妻の実家へ行くことも許されない状況に追い込まれました。

サザエさん一家との戦いは修羅場に

妻と私の関係はもはや修復が困難なくらいにまで壊れていました。

私はなんとか仲直りをしたいのと、我が子に会いたい一心で、妻に訴え続けました。

しかし、妻は私の謝罪など聞く耳持たず、私への誹謗中傷を繰り返しました。

妻も精神状態に異常を来してましたが、私も様々なストレスによりすでに限界でした。

さすがになんとかしなければいけないと思って、妻の実家へ乗り込むことにしました。

「これまで言いたいことを我慢してきたが、今日だけは言わせてもらう」

妻とその両親の3人を相手に、私は思うことを全てを話しました。

わかってくれると信じていました。

私の主張や思いは決して間違っていない、と。

しかし・・残念ながら思いは届きませんでした。

妻もその両親も「お前が悪い」と言って全く聞いてはくれませんでした。

妻の親がこの場にいるからダメなんだと思い、なんとか席を外してもらおうとしましたが、妻も両親もそれを認めませんでした。

全く話が通じない人種ってこの世にいるもんなんだ、とこの時そう思いました。

もっと早く気づくべきでした、この家族の危険性に。

いつか私の両親が、妻の家族のことをこう言ってました。

「あの家はまるでサザエさんのような家だ」

サザエさんの家族は暖かくて良い家族だというのが世間一般のイメージかもしれませんが、もちろんここではそういう意味ではありません。

サザエさんの夫であるマスオさんは養子でもないのに、なぜサザエさんの実家で一緒に暮らしているのでしょうか?

不思議に思いませんか?

まさに妻の家族と同じだと思います。

全て自分の思う通りにしたい家なんです。

だから、私は今もサザエさんの家族が良い家族だとは思っていません。

決裂した挙句、私は妻の実家から追い出されました。

文字通り追い出されました、力づくで。

無理矢理手を引っ張られ、玄関の外へ出されましたから。

あんな経験は初めてで、この先も経験することはないでしょう。

外へ追い出された私は放心状態でした。

まさかこんな結果になるとは・・

自分の人生は一体どうなってしまうんだろう・・

もう何も考えることができませんでした。

家庭裁判所からの出廷通知と接近禁止命令

夫婦がどうなってしまうのかという不安と、生まれたばかりの我が子に会えない辛さで、私はやるせない思いで塞ぎ込んでいました。

あの時の恐怖と悔しさから、もう妻の実家へ行くことはできませんでした。

そんな私に追い打ちをかける出来事が起こりました。

家庭裁判所への出廷通知でした。

離婚について話し合いの場を設けるとのことでした。

もちろん発起人は妻です。

「こんなことで離婚なんて・・」

こんな状況になってしまったとはいえ、この時の私は離婚することになるとは思っていませんでした。

ショックもありましたが、こんな手段に訴える妻とその両親に対して怒りと呆れを感じていました。

家庭裁判の日までは妻と我が子には会えない決まりにされていました。

接近禁止命令・・一体自分が何をしたというのでしょう。

我が子を虐待したわけでもなく、妻にDVしたわけでもなく・・なぜ?

「どうして私ばかりがこんな目に遭わなきゃいけないのか」

こんな人生をただ呪いました。

何より辛かったのは、一日一日と成長しているはずの我が子の姿すら見れないことでした。

私は赤ん坊の頃の我が子の写真を眺めては「もうどのくらい大きくなかったのかな」と思いを馳せていました。

ここから約2年間、不毛な裁判生活が続くことになります。

四面楚歌の家庭裁判と高額な婚姻費用の支払い義務

家庭裁判は2ヶ月に1回行われました。

裁判所の相談員および弁護士を相手に、私と妻が交互にそれぞれ話し合いをするといった形です。

1回の調停で約1時間くらい話す時間がありました。

「自分は何も間違っていないんだから、正直に事実を伝えればきっと良い結果になるはずだ」

そう思っていた私は、弁護士を雇うことなく一人で家庭裁判に臨み続けました。

しかし・・私はここでも自分の甘さによって負け続けました。

相談員も弁護士も基本的に妻の味方でした。

まるで四面楚歌のような状況で、私の味方は誰一人としていませんでした。

「相談員は妻側から金をもらってるのか?」と本気で思ったほどです。

「ここは人間のいる世界なのか?」と疑うくらい、裁判所の人間には人間の言葉が通じないのです。

「彼女の苦しみはもっともだから、あなたはおとなしく従いなさい」

「もう修復する手立てはありません」

「彼女が離婚したいと言ってる以上どうしようもありません」

「子供にも会うことはできません」

全てこれです、取りつく島もありません。

あまりにも一方的で、こちらの言い分は全く聞いてはくれません。

百歩譲って離婚するのは仕方ないにせよ、子供に会えないというのはどう考えてもおかしいわけです。

親である以上子供に会う権利はあるのです。

しかし、まだ幼児だからとか、子供を連れて行くことになる妻側があなたに会うのを拒んでるから仕方ないとかで、とにかく子供との面会交流はできないの一点張りです。

しかも、こんな条件を突きつけられた上に「金だけは出せ」と言われました。

「あなたには妻と子供を養う義務があり、しかし今は妻の実家が妻と子供を養っている形である」

だから、妻と子供の生活費を出せというわけです。

勝手に出て行ったのはそっちだろう、なんて言い分はもはや通りません。

これは婚姻費用というもので、養育費とは異なります。

支払うべき金額は毎月10万円でした・・決して安くはありません。

養育費は基本的に子供の分だけが対象ですが、婚姻費用は妻の分も含まれているので養育費よりも多くなるのです。

それでも私は納得しました。

子供のためなら仕方ない、と。

私のお金が子供に使われるのは当たり前だと。

・・我ながらどこまでお人好しなんでしょうか。

ここから約1年間、私は子供に会うことができませんでした。

もちろん妻とも会っていません。

年間で120万円を支払い、私は不毛としかいえない一人暮らしをしながら塞ぎ込んでいました。

この1年間は私の人生で最も辛かった時期でした。

毎日仕事に行きながらこう思ってました。

「自分は一体何のために働いてるんだろう?」

「稼いだところで誰が喜ぶんだろうか?」

ちょうどその頃、仕事でミスをして上司にこっぴどく叱られたことがありました。

家庭に大きな問題を抱え、仕事でも追い詰められ、その晩は一睡もできず朝を迎えました。

朝いつも通りに駅へ向かう途中、こんなことを思いました。

「ああ、俺って真面目なんだ・・こんな日でも仕事に行こうとするんだから」

「サボったって、仕事辞めたって、誰も悲しまないのにな・・」

鬱にならなかった自分が不思議なくらいでした。

人間はここまで邪悪になれるのか

裁判所で争うことは当然ながら私の本意ではありませんでした。

「こんなところで話し合う生活はおかしい」

「一緒に暮らしていた者同士なんだから、ちゃんと2人で話し合えるはずだと」

当時の私はそんな理想論だけで生きている人間でした。

そう思って私は、妻宛に手紙を書きました。

これまでのことを詫び、また一緒に生活したいという思いを綴りました。

そして、2人だけ話そう、と。

思えばこの1年以上、妻とちゃんと話し合ったことはありませんでした。

この日時に妻の実家へ伺うと書き、手紙を投函しました。

もうこれは最後の賭けでした。

しかし・・最後の願いが叶うことはありませんでした。

彼女の実家を訪れると、そこには妻の父親だけがいました。

娘は君に会う気はない、と。

予想してはいましたが、もう本当にダメなんだと思った瞬間でもありました。

私は妻の父親に色んな思いを伝えました。

一緒にやり直したい気持ちがあること、障害を持った我が子を一緒に育てていきたいこと。

しかし、妻の父親は私の顔を見ているだけで一言も言葉を発しませんでした。

完全に無視・・こんなに虚しいことはありませんでした。

この時せめて一言でも何か言ってくれれば、それだけで訪れた意味があったと思うことができたはずです。

仕方なく帰ろうとした私を妻の父親は呼び止めて、この日初めて言葉を発しました。

「車の保険はどうなっている?」

実は結婚してから私は自分の車を売却し、妻が乗っていた車を2人で共有する形にしていました。

妻は里帰りする時に車を実家に持って行ったので、私はそれから車なしの生活をしていたのです。

それでも妻の車の保険料は私がずっと払っていました。

ずいぶんと人が良いと自分でも思いますが、子供の病院の送り迎えなどに使ってくれているのだろうと思って保険料を支払い続けることに抵抗はありませんでした。

私は妻の父親が発した質問の意図をこう思っていました。

「君が乗らない車の保険料を支払わせ続けるのは申し訳ないから切り替えてもらってもよい」

しかし、妻の父親はこう言いました。

「娘が、この車に乗ってると怖いと言うんだ」

「あんたがちゃんと保険料を支払ってるか不安だから怖いと言うんだ」

・・私は耳を疑いました。

別居中とはいえ、妻や我が子が使っている車の保険を私が勝手に解約するものか。

私はそんな非道な人間ではない、と。

しかし、この人たちからは私はそんな人間だと思われていたのです。

どうしてこんな風にものが考えられるのか。

人間ってここまで悪い生き物になれるのか。

この言葉は今でも忘れません。

この時受けたショックは一生忘れることはありません。

「もうこの家族とは無理だ」

「自分の人生を守るために、この家族と戦わなくてはいけない」

ようやく私はそう思うことができました。

家庭裁判で負け続けた最大の理由は弁護士の不在だった

私が家庭裁判所で負け続け、不利な条件ばかり突きつけられた最大の理由はこれでした。

「弁護士の不在」

妻側は最初から弁護士を雇っていたからこそ、裁判を有利に進めていたのです。

でも私は、こんな不毛な争いにはしたくなかったので弁護士を雇う気はありませんでした。

結果的に、孤立無援だった私は裁判所で四面楚歌でした。

私は弁護士の無料相談へ行き、初めてこの事実を知りました。

弁護士はこう言いました。

「その事例でこんな厳しい条件を呑まされたのは、あなたが一人だったから」

「離婚を覆すのは難しいと思うが、子供に会うことは必ずできるようになる」

その言葉を聞いて、私はとうとう離婚を決意しました。

そして、自分も弁護士を雇って、また話し合わなきゃいけないと思いました。

とにかくこの悲惨な状態を脱しなければいけないという思いでした。

最低限の権利だけを手に入れるために、今度は私から裁判所の調停を起こしました。

形勢逆転・・そして誰もいなくなった

そこから1年間、また裁判生活が始まりました。

今度はこちらにも弁護士が付いているので、形勢は少しずつこちらへ傾いていきました。

裁判所で初めて人間らしい会話ができたと思います。

人間とは思えなかった相談員も拍子抜けするくらいに態度を豹変しました。

世の中は正しい者が勝つ仕組みにはできていません。

強い者が勝つ仕組みなのです。

1年後、全てが決まりました。

離婚の決定、慰謝料なし、子供との面会交流は毎月1回、養育費は毎月7万円など。

とりあえず子供に会える権利は得ました。

これだけのことを決めるのに1年も要しましたが、これまでの最悪な状況を考えればこれでもものすごい前進なのです。

ここで決まったことは今でも続いています。

2年ぶりに会った我が子はすっかり大きくなっていましたが、赤ん坊の頃の面影はちゃんと残っていました。

もう一緒に生活することはできなくなりましたが、父親としてできる限りのことはしていくつもりです。

いつかこの子と友達のような関係になれたら・・もうこれ以上望むことはありません。

離れていても愛しい我が子ですから。

こうして裁判は終わり、私は最低限のものを手に入れることはできました。

しかし、後に残ったのは虚しさだけでした。

結局私は、小さい頃からの夢だった普通の結婚生活すら送ることができませんでした。

妻や子供と公園に行く・・そんなちっぽけな夢さえも叶いませんでした。

誰のせいでもない・・原因は全て自分にあった

私は、離婚した元妻のことも、その両親のことも、全く恨んではいません。

確かに当時は恨みましたが、その頃の自分は自分を正当化することしか頭にありませんでした。

でも、もし当時の自分がもっとしっかりしていたら・・きっと同じ結果にはならなかったと思います。

彼女は何よりも自分を見て欲しかったんだと思います。

私は子供が生まれた嬉しさと障害の責任感から、子供を最優先にして彼女を二の次にしていたのかもしれません。

私は私なりに彼女も気遣ってたつもりでしたが、彼女はそうは取らなかったのでしょう。

恋愛も結婚も相手ありきです。

相手がそう思わないのなら自分に非があるのです。

私は自分では彼女に優しくしていたつもりでしたが、それは所詮独りよがりだったのです。

何より大事なのはこの疑問です。

「彼女は私のことを好きだったのか?」

おそらく最初から、彼女は私のことをそこまで好きではなかったと思います。

彼女もまた私と同じく、とにかく結婚がしたかっただけだったのかもしれません。

彼女にとって結婚できる条件に私がたまたま合っていただけだったのかもしれません。

彼女をもっとちゃんと好きにさせていれば・・

自分にもっと魅力があったら・・

きっと結果は違っていたと思います。

私はただ、彼女やその周囲の言うことに反応し、その場しのぎで要望に応えていただけでした。

自分というものが全くなかったんです。

そんな男だから、彼女もその両親も、果ては私の両親も、皆が私に呆れていたのでしょう。

私が負け続けた家庭裁判でも同じことが言えます。

私は何も悪いことをしておらず、それを正直に裁判所側へ伝え続けるだけで良い結果になると信じていました。

しかし、その結果私は惨敗し続けました。

「自分の権利を主張するにはどうしたらいいのか」

「どうやったら自分の幸せが取り戻せるのか」

こういうことを私は全く考えることなく、ノープランでただ突っ込んでいただけでした。

真面目で誠実・・それだけで生きていけるほど人生は甘くないのです。

真面目で誠実・・それだけでは女にモテないのです。

この離婚騒動によって、私と親の関係も大きく変わりました。

それまでは仲の良い親子だったと思いますが、今では連絡を取ることもほとんどなくなりました。

私は、自分の両親も、彼女も、彼女の両親も、そして我が子も・・

皆を傷つけ苦しめてしまいました。

産後うつや産後クライシスで悩む全ての人へ

離婚が多いのは結婚から3年以内だそうです。

私は見事にそれにハマりました。

もちろん妻の産後うつや産後クライシスだけが原因だとは思っていません。

しかし、産後の奥さんの言動に悩む男性が実はものすごく多いということを後から知りました。

これはもはや社会問題といってもいいかもしれません。

出産後、女性はホルモンバランスが崩れ、肉体的にも精神的にもとても不安定になるそうです。

男性はそれを知り、可能な限り気遣ってあげるしかないそうです。

簡単に言ってますが、私にはできませんでした。

ここではとても書ききれませんが、それはもうすごい言動でしたから。

こんなことになる前に、奥さんの気持ちをちゃんと捕まえていて欲しいんです。

出産後に精神が不安定になるのは仕方ありません。

でも「私はこの人が好きだから一緒にいたい」という思いはきっと消えません。

もし同じように悩む人がいたら、どうか私のようにはならないように気をつけてください。

辛い経験から得た負の財産は決して無駄にはならない

この経験は私にとって負の財産です。

しかし、負でも財産は財産です。

少なくとも、この経験をしなかったら今の自分はいませんでした。

しかし、人生は甘くはなく、離婚した後も不幸は続きました。

遊び人の既婚者男に惨敗した失恋経験が私をモテ男へと変えた

これもまた私にとって負の財産です。

しかし、これらの経験によって、私は本気で人生を変えようと思いました。

「もう女に振り回される人生はごめんだ」と。

そして、恋愛システムエンジニア横山建氏の教材と出会いました。

ウェスポーランドの横山建と出会って私はモテ男へ

女にモテなかった男だけが真のモテ男へと変わることができる

これにより、女にモテるということがどういうことかハッキリとわかりました。

また、本当に自分に合う女性はどういう人なのかも知ることができました。

さらに、こんな経験をした自分は多少のことで動じないという変な自信もつきました。

誰だって辛い経験はしたくありません。

でも、辛い経験をせずに成長した人も成功した人もいません。

辛かった経験をどう捉えて、どう活かすか、なんです。

女性にモテなかった経験もまた負の財産です。

昔から女性にモテてきた男性にはわからないことや見えないことがたくさんあります。

そこは今までモテてこなかった私の大きなアドバンテージです。

妻から離婚された私の過去は、今の私にとっては大きな財産になっています。

人間は、自分が経験してないことはやっぱりわからないんです。

フラれた経験のない人が本当にモテることはありません。

だから、モテなかった自分を誇りに思って欲しいんです。

今までの辛い経験は全て自分にとって必要なことだったと思って欲しいんです。

モテないことに悩んだことのある人だけが、本当にモテる男へと変わることができるんです。

辛い経験をした人だからこそ、その経験を活かすことができる。

辛い経験をしたからこそ、誰かの力にもなれる。

そう思って私はこのブログを書いています。

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