「美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる」は真実なのか?について話をします。
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天才軍師「諸葛孔明」の奥さんはブスだった?
諸葛孔明といえば、中国の三国志時代に活躍した天才軍師として知られています。
知略に優れ、主君である劉備を政策・軍事の両面で支えた名サポート役として今もなお語り継がれています。
レッドクリフと呼ばれる赤壁の戦いでは、「祈りで風向きまで変えてしまった」なんて伝説まで残っています。(ホンマかいな)
その孔明が残した数多くの逸話の中にこんなものがあります。
「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」
これを直訳しますと、
「孔明の価値観で嫁を選ぶとブスを選んでしまうことになる」
どうやら孔明の奥さんはとても不器量だったようです。
これは当時のブラックジョークにもなっていたそうです。
こんな風に言われるということは、当時の権力者の奥さんはよほどの美女揃いだったのでしょう。
孔明の知恵者ぶりは若い頃から知れ渡っていたそうなので、結婚する当時でもそれなりの立場にいたことが想像できます。
おまけに孔明は立派な体格をした美男子だったと言われています。
にもかかわらず、自分とは不釣り合いなくらいに不器量な女性と結婚・・
周囲が首をかしげるのも納得です。
このことからも、当時から「男は美人が好き」だったことがわかります。
現代でも、男性は美人に目がなく、男はつい見た目で女を選びがちです。
私も男ですので気持ちは同じです。
しかし・・
今となっては、私もそこまで美人にはこだわっていません。
なんというか「目先の利益に過ぎない」という感覚なのです。
諸葛孔明の奥さんは極めて優秀な女性だった
ブスだブスだと言われてますが、孔明の奥さんになった黄夫人は大変な優れ者かつ人格者だったようです。
様々な機械を造っては客人のもてなしに貢献したりと、孔明も舌を巻くほどの技術者。
絵に描いたような良妻賢母ぶりで、まさに内助の功そのものだったそうです。
黄夫人の父親は、孔明に縁談を勧める時にこう言ったそうです。
「君は妻を探していると聞いたが、私に醜い娘がいる。赤毛で色黒の娘だが、才知の方は君とお似合いだ」
なんと、自分で自分の娘のことを醜いと言っています・・ちょっとかわいそうな気がします。
でも、能力は天才の君と釣り合うからお似合いだ、と。
孔明は黄夫人の才知に惚れ込んで結婚したのかもしれません。
「英雄、色を好む」という言葉がありますが、孔明はそうでもなかったようです。
おそらく孔明は、軍師として宰相として存分に力を発揮するために、家庭のことまで気遣う余裕はないと考えたのではないでしょうか。
そして黄夫人のように機転の効く女性なら、客人や部下に対して失礼を働くこともなく、人間関係の面でも自分の助けとなってくれると考えたのではないでしょうか。
孔明は、煩悩よりも仕事の成功を優先して結婚相手を選んだのかもしれません。
人間の成功に最も障害となるのは感情だと言われています。
孔明が成功できたのは、煩悩や感情でパートナーを選ばず、仕事の協力者という観点でパートナーを選んだからかもしれません。
男が美人を手に入れたいのは理由は「プライド」と「マウンティング」
今も昔も、男は面食いです。
孔明のように女性の外見を度外視して、あくまで仕事のパートナーとして優秀な女性を選ぶという行為は、普通の男性にはなかなかできないものです。
男が美人を求める理由としてまず挙がるのは、「目の保養になる」
ただ、それ以外にも「周りの目が気になる」という理由もあります。
「あいつの嫁見たか?すごい美人だったぞ」
と噂されるのは嬉しいものですが、
「あいつの嫁見たか?言っちゃ悪いけど、すごいブスだったぞ」
と噂されるのは男にとって苦痛なのです。
実際に孔明も「孔明の嫁選びを真似ることなかれ」なんて噂されていたくらいです。
男には「周囲よりも優位に立ちたい」という願望があるからです。
そして、恋愛や結婚においてそれが最もわかりやすいのが「美人を手に入れた」という事実なわけです。
大小の違いはあれど、男という生き物はそういうプライドやマウンティングによって自己満足を得て生きているのです。
美人なだけの女性は3ヶ月で飽きる
「美人は3日で飽きる」という言葉があります。
ただ、これが真実かどうかはその人によると思います。
私の経験上これはちょっと違います。
私の感覚でいくと、
「美人なだけの女性は3ヶ月で飽きる」
これはあくまで私の感覚であって、もっとすぐに飽きる人もいれば、全く飽きない人もいると思います。
ただ、私は3ヶ月が限界でした。
もちろん性格や考え方が合う女性なら飽きるどころかずっと好きでいられます。
しかし、見た目以外の魅力を感じられない女性とはそう長くは一緒にいられません。
付き合いたての頃はすごく興奮もしますし、「こんな美人と付き合うことができた」という事実だけでも楽しむことができます。
しかし、そんな感情は最初のうちだけです。
厄介なことに、付き合っている最中の苦痛は自分でもなかなか自覚できないのです。
なぜなら、「俺はこの女が好きなんだ」と自分で自分に言い聞かせてしまうからです。
でも実際は楽しくないのです。
そして、この思い込みはちょっとした時に一気に冷めて正気に戻ります。
例えば、彼女のスッピンを見てしまった時などに、
「あれ、どうして俺はこの子と一緒にいるんだろう・・」
という風に、急に目が覚めてしまうものです。
これは昔の私では気づけなかった感覚です。
実際に美人と付き合うことができて初めて気づいたことです。
ひょっとしたら、孔明は結婚するまでに美人と何人か付き合ったことがあるのかもしれません。
そして、自分のサポート役として必要な女性の像を見極めていった結果、
「美人は飽きる。だから見た目はどうでもいい」
という結論に至って、黄夫人を選んだのかもしれません。
ありのままの自分でいられる相手こそ理想の女
美人と一緒にいられる時間は、性欲や優越感を満たしてくれます。
しかし、男という生き物には「より多くのメスと交わりたい」というDNAが刻み込まれてますので、一人の女性では本来性欲を満たしきれないものです。
そして、優越感という感情には際限がなく、もっともっと強い優越感を得たいと感じるものです。
つまり、美人と一緒にいようが、男は所詮他の女を探し求めてしまうものなのです。
そうやって美人ばかりを取っ替え引っ替えする生活も良いですが、何年もそういう生活を続けられる男はごく稀です。
男も様々な観点で衰えますので、最終的には落ち着きたいと思うものです。
落ち着きたいと思った時、男が長く楽しむことができるのはこういう時です。
「自分がしたいことができている時」
「自分が自分でいられる時」
ここに相手の女性が美人かどうかはあまり関係ありません。
男が長く楽しめる生活というのは、「自分が何をしたいか」であって、相手の女性によるものではないのです。
人間は最終的には自分なのです。
相手がいかに美人でも、自分を偽り封じ込める生活はやはり我慢できないものです。
そのため、「どういう女が理想?」と聞かれかたら、私は迷わずこう答えます。
「ありのままの自分でいられる相手」
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