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【ブレない男はモテる】ゴジラ松井を敬遠させた明徳馬淵監督の非情な決断と信念

明徳馬淵史郎監督

ブレない心と勝つための戦略が恋愛でも必要について話をします。

平成の甲子園で起こった「松井秀喜5打席連続敬遠」

令和初となった2019年の甲子園「第101回全国高校野球選手権大会」は、履正社高校(大阪)の優勝で幕を閉じました。

決勝で惜しくも敗れた星稜高校は、あの松井秀喜氏の母校でもある強豪校でした。

私は、2019年春の選抜高校野球大会から明石商業(兵庫県)のファンになってしまったので、今大会も応援していました。

惜しくも準決勝で履正社高校に敗れてしまいましたが、ガッツポーズなどの熱いパフォーマンスで一躍有名になられた狭間善徳監督を初めとして、大いに甲子園を盛り上げてくれました。

聞けば、狭間監督はかつて、あの明徳義塾高校(高知)の馬淵史郎監督の下でコーチをされていたらしく、馬淵監督とは師弟関係に近い間柄だそうです。

馬淵監督と聞いて私が最初に思い浮かんだのは・・

今から27年前の1992年の夏に甲子園で起こった大事件ともいえる「松井秀喜5打席連続敬遠」でした。

敬遠を指示した馬淵監督の行いは正しかったのか?

当時、私は中学生で、あの試合をリアルタイムでテレビ観戦していました。

すでに怪物として名を馳せていた松井選手に対し、明徳義塾の馬淵監督は全ての打席で敬遠を指示しました。

「高校生の中に一人だけプロが混じっていた」

「松井さえ打たせなければ勝てる」

馬淵監督の作戦は見事に当たり、松井選手の星稜高校は明徳義塾に2対3で敗れました。

しかし、観客席からは多くのメガホンが投げ込まれたり、勝った明徳義塾の選手たちが校歌を斉唱する際には「帰れ」コールが鳴り響いたりと、高校野球では起こり得ないような光景が見られました。

この事件は当時大きく世間を賑わせ、馬淵監督には批判が集中し、松井選手には同情の声が多く寄せられました。

当時の私はまだ中学生でしたが、「ちょっとやりすぎじゃないか」くらいの憤りを感じた記憶があります。

馬淵監督の作戦が正しかったのか間違っていたのか、それは今でもわかりません

馬淵監督の取った作戦が正しかったか間違っていたかについて、答えは出ないと思います。

考え方次第でいかように変わるからです。

ただ、馬淵監督から学びたいことはたくさんあります。

馬淵監督のブレない心と勝つための戦略

世間からどれだけ批判を浴びても、馬淵監督は自分の信念を貫き続けられました。

「松井選手以外のメンバーが相手なら勝てる、だから避けた」

「野球のルールに違反していない、敬遠は戦略の一つとして認められている」

「負けるための戦略を立てる監督がどこにいるのか、勝つために隙を突くのは当たり前」

「3年間必死で練習してきた選手たちに、玉砕してこいとは言えない」

「ただ、結果的に選手にはかわいそうなことをしてしまった」

松井選手を封じ込まれた星稜高校が実際に2対3というロースコアの僅差で敗れていることからも、「松井さえいなければ勝てる」という馬淵監督の読みは正しかったと言えるでしょう。

敬遠はルール違反でも何でもなく、読んで字のごとくある意味では対戦相手を敬った行為でもあります。

正々堂々と勝負するのが美しいのはわかりますが、負けてしまったら選手たちの夏は終わりますし、監督の評価にも影響してくるかもしれません。

「勝てば官軍」との言葉のとおり、まずは勝たないと意味がないという考え方もあります。

5打席連続というのは確かにやりすぎかもしれませんが、中途半端に勝負してもし負けていたら、負けた上に批判されていた可能性もあります。

「高校野球の本分は、勝つことではなく、教育である」

という考えから馬淵監督を批判する意見も多くあったそうですが、これも捉え方次第で変わってきます。

潔く正面からぶつかっているだけでは、なかなかうまくいかないのが人生です。

正しいものや美しいものばかりが勝つとは限らないのが世の中です。

勝負事には必ず流れがあります。

麻雀でも、自分に運や流れが来ていない時に勝負したらほぼ勝てません。

「勝負するところと、避けるべきところを、ちゃんと考えなさい」

これを子供たちに教えたかったのだとすれば、これもまた教育です。

馬淵監督から学びたいのは、「ブレない心」と「勝つための戦略」です。

いくら勝つためといっても、あの作戦を実行したら批判されることくらい最初からわかっていたはずです。

それでも信念を貫いて実行した。

それが最も勝つ確率の高い方法だから。

信念を持たない男はモテない

さて、ようやく・・恋愛の話に入ります。

自分を持たない男性は、絶対に女性からはモテません。

いちいちブレて右往左往するような男性に身を任せようとする女性はいないからです。

正しい決断や選択を常にできる人はいません。

それでも決めなくてはいけない時があります。

辛くても嫌でも実行しないと何も進まない時があります。

馬淵監督の信念や実行力は、人を引っ張っていくためには欠かせないものです。

人任せにしたり、他人の意見に流されたりする人に、自分の未来を託したい人はいません。

女性から求められたいなら、自分がヒールになってでも信念を貫くことが必要なのです。

モテるためには非情になることも必要な時がある

正々堂々と潔く好意を伝えたところで、その女性からモテるわけではありません。

女性が喜ぶことばかりを言ったところで、その女性からモテるわけではありません。

女性に優しく接して気を使ってあげたところで、その女性からモテるわけではありません。

時には冷たくしたりと、変化球を織り交ぜないと落とせない女性もいます。

時にはイジったり落としたりと、強弱を入れていかないと落とせない女性もいます。

時には厳しいことも言ったりと、感情を刺激しないと落とせない女性もいます。

勝つための戦略というのは、時に非情なものです。

正攻法だけでモテるなら誰も苦労しません。

やりたくなくても、それをしないと好かれない方法もあるのです。

馬淵監督にしても、5打席連続敬遠なんて本当はしたくなかったと思います。

一生懸命練習してきた選手たちには勝負させてあげたかったはずです。

でも、負ける可能性のある方法を勧めるのはリーダーとして間違っています。

それが非情な手段であっても、ルールの範囲内であれば実行すべきだと思います。

モテるためにやるべきことをやらない男性は、ただ自分に言い訳したいだけなんです。

「そんなの気が進まない」

「それって本来しないことだろ」

要するに、自分がやりたくないだけなんです。

やったら勝てることがわかってるのに、自分の都合だけでやるかやらないかを決めてしまっているのです。

本当にモテたいなら、やるべきことから避けていてはいけないんです。

やらなかった後に残るのは、自己満足の感情だけで、自分も女性も幸せにはならないのです。

松井選手の大活躍にもよって馬淵監督の評価も変わった

あの事件以来、すっかりヒールとなってしまった馬淵監督と明徳義塾高校は、それから4年以上甲子園に出場することは叶いませんでした。

しかし、批判に負けず地道に練習を重ねてこられた結果、いつの間にか甲子園の常連校になり、10年後の2002年にはついに全国制覇を成し遂げられました。

馬淵監督は高校野球の名将であり、卑怯者と呼ぶ人はもはや一人もいないはずです。

そして、松井選手はプロ野球の世界に入り、ジャイアンツの4番として大活躍しました。

明徳義塾が全国制覇した翌年、松井選手は海を渡ってメジャーリーガーになりました。

その際、アメリカでもこの事件が話題になったといわれています。

「ここまでの選手になることをすでに見抜いていた監督がいた」

先見の明があった監督として、馬淵監督を批判する人はいなくなっていきました。

松井選手はこう言っています。

「あの5打席連続敬遠が自分の代名詞になってしまった」

「だから、プロになってからそれを証明しなければならない気持ちもあった」

「敬遠されても仕方のないほどの選手だった、と」

メジャーリーガー松井選手を育てた一人に、馬淵監督は確実に入ると思います。

国民栄誉賞まで受賞された松井選手を育てた馬淵監督は、ヒールではなく功労者ではないかと私は思っています。

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